Archive of posts from yyyy-11-19
— [映画] チョコレート・ソルジャー前作の「チョコレートファイター」のアクションには度肝を抜かれたものだが、本作は酔拳(というか、カポエラみたいなムエタイみたいなヒップホップみたいなもの)だからか、あまり迫力がない。ストーリーが普通未満なので、全体的に見ていてつらい。
— [映画] BECKTVでやってたやつ。ひどい映画とは聞いていたけど、予想通りのひどさで特に感想もなく。原作だって、最初のうちはよかったけど、たいがいひどい作品なので、むしろ原作に忠実じゃないでしょうか。
とはいえ、俺は水嶋・カブト・ヒロと向井・水木・理のことは、大好きだぜ! あと、桐谷健太最高!
— [映画] 悪人TVでやってたやつ。ひどい映画だったなあ。なんだこれ。
深津絵里が働いていた職場が紳士服のフタタだったんだけど、これって九州山口限定なのか。奥さんが知らなくて「えええ!」ってなった。
— [映画] ゲド戦記TVでやってたやつ。最高にひどい映画だったなあ。映画作っちゃダメなレベルだ。
— [映画] 『嶋田久作 - 帝都物語 [DVD]』映画というかOVA。VHS版は1991年発売らしい。
時代相応の古さはあるものの、映像の作りがすごくしっかりしてる。現実と非現実の狭間の様子がきちんと映像化されているのは圧巻。声優人もまた豪華(聞いたことある声ばっか)。それに、嶋田久作が加藤保憲の声をやってる。何も言うことないなあ。
— [映画] 『ディボース・ショウ [DVD]』離婚訴訟問題に強い弁護士ジョージ・クルーニーが、クライアントの妻(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)に翻弄される映画。美男美女のスター、扱う題材は現代社会、そしてハッピーエンド。コーエン兄弟自ら「これはコマーシャルフィルムだ」と言い切っていた。しかーし、これは単なるコマーシャルフィルムなわけがない。ジョージ・クルーニーのボスである管まみれの80歳超の老弁護士。まるで悪魔のようなその姿。そんなのがコマーシャルフィルムに出てくるわけないじゃないか。彼は言う……「愛だと?そんなものに意味はない。法に忠実でありさえすればいい」。こーーーえーーーーー。
— [本] 素人のように考え、玄人として実行する/金出武雄『素人のように考え、玄人として実行する: 問題解決のメタ技術』著者はカーネギーメロン大の教授とのこと。有名な方なんでしょうか。プロフィールには、人工知能、コンピュータビジョン、ロボット工学の世界的権威と書いてあります。恥ずかしながら、この本を手にするまで存じ上げませんでした。
— [本] 思考論理学 考えるワシ/橋本治Amazonに載ってねーなーと思ったら、復刊ドットコムに載ってる。げげ。
えーと、まず最初に「ハゲという題材について」というのが載っている。橋本治がハゲについてあーだこーだ言ってます。これが面白い。
以下、俺なりの要約(引用部分も引用に非ず)。
ハゲとは苦悩の象徴(もしくはリアルな症状)である。苦悩と現世とは両立しえないものだから(悩んでばかりいたら生活してらんねーから)、現世を捨てる「出家」という人為的なハゲなるものまで存在しているわけである。
このことはつまり、現世に苦悩(=ハゲ)は本当は存在しえないものということを意味する。故に、
ハゲは存在しても存在しない
ということが成り立っていると言える。
ハゲのひとにハゲネタを振れない(ハゲを無いものとして扱う)のは、実はそういうことなんだ、と(笑:バカだこのおっさん)。
そして何より重要なのは、それまで成立していた
出家=世捨て=人生の終わり
という公式が、平均寿命が延びた今日の日本においては、もはや成立しなくなっているという点である(まるでドラッカーの理論だッ!)。今ではもう、昔のようにハゲたら人生終わり、というわけにはいかない。ハゲは人生の終焉から、人生の半ばにシフトしてきている。ハゲていない時期が人生の第一部。そして、ハゲてからが人生の第二部なのだ。
言わば、ハゲは、人生の「通過儀礼」なのである。覚悟しろ!
ハゲてない人は第二部も考えておけ
と。
青春の曲がり角
これは最後の章。すんげー面白かった。図解だったので、文章で説明するのは難しいが、xyzzyの罫線モードを使って、なんとか説明するよ(俺的要約。引用に非ず)。
まず「成長」とは何なのか。普通はこうやって、上に伸びていくイメージを抱くだろう。
成長
↑
│
│
○
だけどいつかは青春の曲がり角にぶつかる。
←──────┐
青春の曲がり角│
│
○
曲がり角があったもんだから、
青春時代を振り返ったときに見えるものは
ユーミンという名の別物となっている。
←──────┐- - - - - →
青春の曲がり角│(ユーミン)
│
○
ここで「人間の幅」とは何なのか考えてみる。
それは、「いつ曲がり角を曲がるか」に依存する。
3歳で曲がるよりも、20歳で曲がったほうが幅があるってわけ。
人生は線ではなく、面で考えるのだ。
←──────┐3才
青春の曲がり角│
○
←──────┐20歳
青春の曲がり角│
│
│
│
│
○
角を曲がりきれなかったひとはどうなるのかというと、
現実の壁を越えてしまい、
妄想
↑
───────┼────
現 実 の 壁│
───────┼────
← - - - - - ┤
青春の曲がり角│
│
│
○
あっちの世界にいっちゃう。
あと説明しにくいんだが、青春の曲がり角をきちんと直角に曲がるのは難しく、そこには紆余曲折が作り出す「ブザマ曲線」と、それによって通過できなかった「経験はしていないがありうべきものと思われる青春の記憶」が出来上がり、そこに理想と現実のギャップが生まれるのだそーな。
───┬───────────┐(理想)
└─┐経験はしていないが│
│ありうべきものと │
└┐思われる青春 │
紆余曲折 └┐ の記憶 │
(ブザマ曲線)└─┐ │
└─┐ │
└──┘
いや、これは凄いよ。バカっぽいけど、実はすごい分かりやすいのかもしれない。興味のある方は、復刊ドットコムまで、どうぞ(って宣伝みたいだなあ)。