Archive of posts from 2003-12
— [本] 組織というもの休日にサイゼリアで読んだ。どちらもオススメ。というか、同時に読むといいんじゃないかな。どちらも企業における「階層構造」についてアレコレ語っている。
まず前提条件として、企業には
- 1人の人間ではできないことの実現
- (1)のサービスを継続して提供しつづけること
の2点が求められている。
特に(2)が大切で、継続したサービスの提供ということは即ち、どこかがルーティンワークをいつまーでもやってなきゃならんっつーことである。これをミクロなレベルで考えると、従業員は日々のルーティン業務をただひたすら処理していかねばならないっつーことになる。これはサラリーマンがまず最初に諦めなきゃならない点だわな。
で、通常のルーティンワークで処理できない「例外」が発生したときは、上司にその例外を throw する。上司が例外を処理できなければ、またさら上に throw する。その上が処理できなければまた throw して……と、この繰り返し。throw されっぱなしだと、上はたまったもんじゃないということは想像に難くないよね。つまり、効率よくこの例外を処理することこそが業務の「生産性の向上」というところにつながってくるわけ。できるだけ下の階層で例外を処理できたほうがベターだということは、まあ、明らかだよね。よく言う「ワークフローの改善」うんぬんという話は、例外の発生率を下げ(もしくは例外への対応力を上げ)、上に throw しないようにするということに他ならない。
みんなは「悪い」階層構造についてアレコレ言うけれど、「良い」階層構造というのを知っておるのかい? 階層構造って、業務を行うのに最適な組織構造なんだぞー。というのがまず最初の主張。
が、ローレンス・J・ピーターいう人が面白いことを言っている。「いたるところ無能だらけ」。
これはドラッカーも言っていることなんだが、階層構造組織においては、日々行う業務がクラス(階層)によって異なる(当然だな)。だが、ヒトはその違いにうまく適応できないことが往々にしてある。「うまくいってた」頃の仕事のやり方を、新しい階層においても行おうとしてしまうのだ。
ローレンス・J・ピーターはこの現象のからくりをこう解く。
有能レベルでウマー
↓
出世
↓
有能レベルでウマー
↓
出世
↓
無能レベルでマズー
つまり、人間には「有能レベル」と「無能レベル」があり、「有能レベル」で「できるヒト」には、「無能レベル」へ続く出世が待ち構えており、誰もその流れを止めることが出来ないというのだ。そしてケインズよろしく「最後にはみな無能レベル」状態になるというわけだー。わーわー。
この「事実」を踏まえた上で、サラリーマンは各々、対処策を考えなければならない。そもそも何もできないスーパー無能であれば、出世することもないから何も考えなくともよいが、そこそこ有能レベルなひとは、「どこまで有能でいられるか」を考える必要がある。ある意味、チキンレースだな。
早く崖っぷちまで出世して、そこで安泰、これ、最強。そのための「not 押し but 引きの法則」なんつーのもあるから、このへんは本を読んでおくれ。
視点を経営者レベルに持っていこう。従業員は出世が「無能レベル」へ続く道だとは知らず、「出世させろゴルァ」とうるさい。やつらの要求に従って、みんなを出世させていたら、それこそバカばっかになって、組織は崩壊しかねない。すぐに「悪い階層組織」の出来上がりである。
ここでは『組織戦略の考え方』における「マズローの欲求階層説の誤用」をしっかりと認識し、やつら中間層に「有能レベルのままでとどめておく」インセンティヴが必要になってくる(インセンティヴが「出世」や「賃金」ではないことは明らかだ)。
— [映画] わたしのグランパ/東陽一『わたしのグランパ [DVD]』文太さん!文太さん!文太さん!文太さん!
— [映画]青の炎/蜷川幸雄『青の炎 特別版 [DVD]』原作を読んだ当時、そりゃもうブッたまげたもんだが’インターネットでおかしな検索をする場面以外な’、この映画からはなんにも伝わってこないなあ。もちっと切実な想いがあったはずなんだがなあ。お目当てのあややも萎え萎えだったし、残念な作品デシタ。
— [映画] 猟奇的な彼女『猟奇的な彼女 [DVD]』絶えず、んなわけねーよ!つって、ツッコミまくっておりました。お前らいつから付き合い始めたんだ? つーか、そもそも付き合ってたのか? さっぱり意味がわからん。その微妙な関係を理解できるかどうかがこの映画のポイントだーなんつって言うこともできるけど、正直、それを理解するには、チョン・ジヒョンに萌え要素が少なすぎるよ!! なんか、脚本を「頭だけ」で考えたっぽいんだよね。だから、ごじつけがたくさんあって、見ているほうはウンザリしてくる。でも、ラストのオチは「へぇへぇへぇへぇ」って感じ。よくぞ頭で考えたね、偉いね、って思いました。
— [本] 『ウェブログ・ハンドブック: ブログの作成と運用に関する実践的なアドバイス』今までのウェブロについての議論って「いかにしてユーザーに金槌を持たせるか」という点にばかり注目が集まっていたように思う。その結果、「社長もblogを」だとか「このツールはこんなに簡単」だとか「みんなが金槌持ったら新しいビジネスモデルでうっしゃっしゃ」だとか、「blogってのはよく分からんが、とりあえずみんなを走らせてみればなんとかなるでしょ?」的な物言いをよく見かけるようになってしまった。やつらはしたり顔でこう言うんだ。「blogの社会に与える影響の可能性は計り知れない」と。でも、もうそんなウェブロ論は飽きた(・A・)だって、なんだかうさんくせーもん。
大切なのは(言うまでもなく)そんなところにあるんじゃあない。金槌’‘の持ち方を教えるんじゃなくて、’‘クギ’‘をどうやって見つけるか、’‘クギ’‘を打つときに何に注意すればよいか、そもそも何が’‘クギ’‘なのか、どうして自分は’‘クギ’‘を打とうとしているのか、なのだ(’‘金槌’‘を持つと、なんでも’‘クギに見えてしまうというのは、よく聞く比喩だ)。
髭剃りにだって哲学があるんだから、blogにだって哲学や作法があって然るべき。そんな大切な「作法」をレベッカたんが「経験と人生と魂を込めて」丁寧に一冊の本に仕上げた。ここに「経験」が入っているのがポイントだ。リアル・ブロガーの言葉は重く、実に頼もしい。
特に「第6章 ウェブログのコミュニティとエチケット」は必読。どうしてリンク先の横に「via example.com」「through example.net」「from example.org」なんて記述を入れるの? 間違えた場合はリライトしたほうがいいの? リンク先がFlashだったらどうすればいいの? そんな、簡単だけど見落としがちなマナーについて、きちんと教えてくれる。
今までblogはいろんなくだんねーことに巻き込まれて、とうとう「blog(笑)」になってしまった(少なくとも俺の中では)。あたりまえだけど、blogだってキチンと使えば、キチンとしたものになる。メディア批判の一翼を担ったり、同じ趣味を持つコミュニティの形成に欠かせない存在になったり、アグリゲーションによる新しいアプリケーションの可能性だって出てくるんだろう(きっと)。普通のひとがこんなにもXMLに注目したことは無かったはずだ。
これからblogが流行っていくであろう2003年の年末にこの本が出版されたことは(仮に、もっと早く出版できたのにyomoyomoさんが原因でズルズルと年末にズレこんでしまったのだとしても)大変価値のあることだと思う。今度こそ「相互リンクしてもいいですか!」ってメールを出すとか、「くだんねーこと」すんじゃねーぞ。コラ。
最後にレベッカたんのお言葉を引用(p.173)
いかなるウェブログであれ、新しい読者ができれば、それは我々皆に利益をもたらすし、コミュニティにおいて、あるウェブログを高めるものは、我々皆を高めてくれると私は確信している。
ピース!
SA:
— [映画] ラストサムライ/エドワード・ズウィックトム・クルーズと小雪の背をハラハラしながら見ておりました。ええと、感想は、良質な時代劇ってところかな。中だるみもなく、適度に涙もあり、良かったと思います。演技も、これはこれは結構なものを見せていただいたーという印象。真田さんカッケー。映画館を出たあとに「おれはこんなことしちゃいらんねーだー」というような、揺さぶるものは何もなかったので、人にはオススメしない。見てもいいんじゃん?程度。
米主要紙、映画「ラスト・サムライ」に厳しい評価
そんなに青筋たてんでも……。あれを史実だと見る必要がどこにあるのか。批判なんかする前に、「水戸黄門を見るスタイル」ってやつをまず先に理解せよ。
— [本]コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学/G.M.ワインバーグ『コンサルタントの秘密: 技術アドバイスの人間学』会社への行き帰りの電車の中で読んだわけだが、どーにもこの「翻訳文体」に馴染めなかった。最初の40ページくらいは「すげー」って読んでいたんだけど、終わりになるにつれて「もういいよ」と食傷気味。