[映画] わたしは、ダニエル・ブレイク
真面目に生きていても、システムの設計が悪ければ人は簡単に追い詰められる。ケン・ローチ監督はずっとこういう主題で作品を作っている。本作で描かれる福祉行政も、国民を助けるためではなく、手続きをルール通りに処理するためだけに動いているように見える。観客が憤りを感じるように、かなり意図的に構成されている。
ただ、キャラクターの描き方には少し引っかかる部分もあった。たとえば、2010年代の社会で「パソコンのマウスが使えない」はあり得ないだろう。いつの時代の話をしているんだ。また、行政の対応が硬直的なのはその通りだとしても、真正面から誠実に対応しているだけでは制度に潰されるのは、容易に想像できたのではないか。終盤に弁護士のような人が出てくるが、最初からそうした人たちに頼ってもよかった。シングルマザーも同様で、子どもを抱えて極度の貧困に陥れば、風俗の仕事に流れる可能性は十分に想像できる。それなのに「魂を売った」かのように描くのは偽善的だと思う。
でもまあ、このあたりを差し引いても、「個人の怠慢」ではなく「構造自体」あることを訴えようとしているのだろう。作中では、「隣人を助ける」「真面目に働く」「ルールを守る」といった古い倫理観を持つ人ほど損をする。一方で、隣人は中国から偽シューズを輸入して、グレーな商売で生き延びている。もちろん映画はそれを積極的に肯定しているわけではない。しかし、制度を真正面から信じる人間より、制度の外側で適応できる人間のほうが生き残れる、という現実が描かれている。
この映画には、明確な解決策はない。最後に残るのは、「正しく生きていれば救われる」という感覚が崩れていく不快さと、壁に名前と主張を書くことしかできない、という静かな絶望である。