[本] 『リトル・ピープルの時代

「ビッグ・ブラザーとはウルトラマンであり、リトル・ピープルとは仮面ライダーである」という第1章のキャッチーすぎる言葉が指し示すように、本書は村上春樹という日本を代表する作家の作品と、ウルトラマンと仮面ライダーという日本を代表するヒーローを相互に参照することによって、私たち(卵)と世界(壁)との関係性を明確化するというものである。

以下、自分が気になったところだけを、自分の言葉で適当にまとめ。


ビッグ・ブラザーの時代の関係性はわかりやすい。問題は私たちよりも大きくて、権力を持っていて、私たちは大きなものから距離を取り、救世主(ウルトラマン)は私たちの外側からやってくる。しかし、その大きな物語が崩壊すると、何が正しいのか/自分が誰なのか、よくわからなくなる。でもやるんだよ!(逃げちゃダメだ)と息巻いてみるが、大きな物語は回復しないまま、世界の終わりは訪れないまま、リトル・ピープルだけが残される。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では、「私」が「やれやれ」と(消滅しかけた悪に対する)正義を執行しようとし、「僕」が個人として「責任」を取ることを選ぶ。

リトル・ピープルの時代(平成仮面ライダーの時代)には、大きな物語はもはや存在しない。自分が誰なのかよくわからないが、それでも問題ない(アギト)。「正義」はリトル・ピープルの数だけ複数存在する(龍騎)。そして、誰もがヒーローになり(555)、「僕(野上良太郎)」にいたっては、他者との「関係性」でヒーローになる(電王)。

その集大成が、自分が誰なのかよくわからないまま旅をし、「正義」はライダーの数だけ存在し、自らも他者に変身することができ、村上春樹の言う「壁抜け」をして、歴史を物語ではなくデータベースとして扱う存在……ディケイドだ(ディケイドに物語はない!)。ディケイドは、リトル・ピープルを破壊・接続するシステム(壁)として機能する。リトル・ピープルでありながらシステムのルールさえも書き換える、リトル・ピープル時代における「壁」が初めて可視化された瞬間だ(ディケイドは悪魔だ!)。

リトル・ピープル時代のもう1つの描き方は、他の世界を無視することで(「正義」をローカルコミュニティに限定することで)、システムとしての「壁」を嘲笑の対象とし、失われた「物語」をあえて構築することだ。それをすべての「責任」を取ろうとする「僕」(世界の終わり)と、正義の「俺」(ハーフボイルド)が再び「合体」することで実現している(W)。


オーズは描かれてないけど、オーズの話も聞いてみたいね!
あと「ダークナイト」の解説もよくまとまっていて、素晴らしかった!