[映画] Dr.パルナサスの鏡

試写会。九段会館にて。

  • 監督:テリー・ギリアム
  • 脚本:テリー・ギリアム、チャールズ・マッケオン

2007年、ロンドン。パルナサス博士が率いる旅芸人の一座が、街にやって来た。博士の出し物は、人が密かに心に隠し持つ欲望の世界を、鏡の向こうに形にしてみせる「イマジナリウム」。博士の鏡をくぐりぬけると、摩訶不思議な迷宮が待っている。1000歳になるという博士には、悲しい秘密があった。かつて “不死”と交換に、娘を悪魔に差し出す約束を交わしてしまったのだ。タイムリミットは、3日後に迫った娘の16歳の誕生日。記憶喪失の青年トニーとともに、博士は、鏡の迷宮で最後の賭けに出る。彼らは、娘を守ることができるのか ―?

すごーく難しい。物語がないからだ。それなのに、作品中で「物語の有無の是非」について議論している。まるで仮面ライダーディケイドのようだ。これがテリー・ギリアムの世界か。

鏡の世界に入ることで主役の人相が変わる。それはヒース・レジャーの死去による偶然の演出ではあるのだが、これも仮面ライダーディケイドっぽい。ただ、鏡の世界は並行世界ではなく、人物の内面なのである。

博士と悪魔が言い争っている。悪魔は言う。

物語がなくても世界は成立するじゃないか

一方の博士は、

世界には物語は必要だ!!

と主張する。じゃあ、賭けをしようじゃないか。

賭けには勝った。
でも、結局のところ、世界は物語なんて必要としていなかったんだ。

そこからこれといった物語は何一つ語られない。テリー・ギリアムの眩いばかりの映像美に見せられながら、物語なんてどーだっていいと観客は思い始める(たぶんみんなそう)。これでいいのかなあ。よくわかんない。映像がすごいから、そんなのもういいんだ。ってなるけど、これはひょっとすると間違った「選択」なのかもしれない。

ラストで子供が質問する。

「これってハッピーエンドになるの?」

「そんなの、保証なんかできないよ」

世界に「物語」は必要なんだろうか。