[本] 『カリスマ体育教師の常勝教育

いろいろ考えたが、やっぱここで言ってることは正しい。俺、賛成。という立場をとることにする。いいことがたくさん書いてある。ので、読んで損は無い。

残念なのは(本書にも書かれてあるが)ここで培われたものが、高校へ行き、社会に出て、という過程で崩壊してしまうことだろう。問題は、第一に、この著者が考えるように「社会がダメだから」。第二に、「目標のベクトルを合わせることはなかなかに難しいから」。

前者に関していえば、

「頑張ってくれ」としか言いようが無い。寝技最強を謳っていても、圧倒的な立ち技の前に屈することはしばしばあることだ。圧倒的な力、圧倒的な笑い、圧倒的な美、圧倒的な悪、などなど、自分じゃどーしよーもないことだってそりゃあるさ。諦めて従順になるのもそれはそれでアリなのです。

本書のなかで「アイスクリームを食べない」という目標を立てた生徒がいた。大会に優勝した生徒たちのために、あるシェフがシャーベットを出してくれた。で、こいつはそれを食べなかった。あーあーあーダメだね、って思った。そこは食べろよ。たまにいるんだ、こういう奴。目標とかなんとか言う前に、こういう人間にならないよう注意すべきです。

後者の問題は解決が難しい。

「○○大会で一位」なら目標設定もしやすいだろう。だけど、実際は、目標なんてあってないようなもんなーんてことはしばしば起こり得る。グレーゾーンなんて言ってるけど、あれはレベルの差異であって、ベクトルそのものをそっちに向けるもんじゃない。

目標を見つけ出すこと、見つけたら見つけたで、そのベクトルが合ってるかどうか。なんて考えていくと、一体何を拠り所にしていいのかよく分からなくなるのです。そこで本書では「理念」という言葉を持ち出してはいるけど、その理念はどこからくるの?それは正しいの?そもそも目標立ててどーすんの。目標が達成されたからって、何がどーなの。なんて考えていくと、なにがなんだか分からなくなってくる。宮台風に言うと「底が抜け」るんですな。お前の言ってる理念はお前だけのもんだ。とかなんとか。

まあ、そこは範疇じゃないかもしれない。

この原田メソッドをイイ!と思っている人が集まれば、それでいいのかもね。