[本] 『この世からきれいに消えたい。: 美しき少年の理由なき自殺 (朝日文庫 み 16-5)』/藤井誠二,宮台真司
知っているか知っていないかに関わらず、宮台の言った「強度」という言葉は、ぼくらの世代にとってとても重要なキーワードであり、意識的にせよそうでないにせよ(もちろん程度の差こそあれ)全体的に「またーり」の方向に進んでいった事実は否定できない。
みんながこうしてまたーりしてた中、どうしてこのS君とやらは「またーり」の波に乗れなかったのかね。他人の理由なんか知ったこっちゃないが、俺なりに思うことはいろいろとある(くだんねーことだけどさ)ので、書く。
まず、予定調和な会話が嫌だという部分。ほんと、っざけんなだよな。ナンシー関が言うところの「笑いの狂気」松本人志の口から出る言葉をちゃんと耳にしたことがあるのかこいつ? だって俺と同じ世代だろ? ダウンタウンの番組をやっている最中、こいつは何をしてたんだ? 絶頂期の松本人志からは、この世のものとは思えない言葉がガシガシ出てて、そのレベルに追いつこうと必死になるだけでも、仲間同士の会話が完全なる「予定不調和」になるはずなのになー。努力不足としか言いようが無い。
そして「中間派」という言葉。こいつは自分のことを中間だと思っているのだ。中間か? 中間じゃないだろ。
かっこうは見てもらえばわかりますが、「がっかりだ」とか「ヤバい」ってことは絶対ありません。
伝言メッセージにこんなことを言ってるのね。キモくないか? 何をもって中間というのか知らんが、たとえ外見が「中間」だったとしても、こういう言葉を言えるひとは中間じゃない気がするよ。
んできわめつけが、本書にも書かれているように「宮台バーカ」と言えなかったこと。あちゃー。文中では「シンクロニティ」などとキレイに書かれているが、あれでしょ、いわゆる「宮台信者ウゼー」ってやつでしょ。かく言う僕も(この世代にいるもんだから)宮台さんの本は何冊も読んでいるわけだ。ウケウリを大活用していた時期もあるし、「強度」の存在によって救われた部分も多々ある。だけどなあ、だけど、他人が何言ってもあれだけどさあ、理解できねー(朝生を録画するとか、文章を引用するだとか)。
読後の感想も同じ。何も理解できねー。まあ、激しく誤読してるのかもしれないがー。
ああいい忘れ。
ぜんぜん楽しくもない職場で、そこそこ楽しそうにやっている人たちを見て、ショックを受ける
という渡辺君が言うのだが、おれも同じようなショックは受けるよ。