[映画] 恋愛寫眞

今日が公開日だったらしく、1000円で見れました。

えーと。これは単なる広末のプロモーションビデオ。ファンには堪らない作品に仕上がっているんじゃないでしょうか。でもぼくはファンでも何でもないので、ただただ苦痛でしかありませんでした。

普通に見れば、広末と松田息子の2人は(事実そうなったように)一人の人間の「弱い部分」と「強い部分」の象徴。それらを現実の世界まで落とせば、「モラトリアムに悩む青年」と「天子のような(笑)スーパーガール」なわけで。そこらへんのフレームをもちっとしっかり守ってれば、もちっとどうにかなっていたような気がするんだけどなあ、結局さいごまでぐだぐだでしたね。ストーリーも安直……というかでたらめだし、広告の仕方(予告の作り方)もどうかと思うし。(意外な展開など何もないじゃないか!)

堤さんファンとして言えば、このひとは「トリックもの」か「コメディもの」撮ってればいいのに……という感じ。もっと登場人物を多くして謎を複雑にするか、ストーリーが分からなくなっても、とことん笑いを追及するか、どっちかじゃないと。どっちも中途半端にやるからこんなことに……あーあ。

もう書くのもダルいんだけど、あと2つ。

ひとつは「ゲイのひと」というのは、どんな作品の中でも舞台回し的な役割を担うのは必然的だなあってこと。これは別に感想でもなんでもないですけどね。今後、映画をみるときに「ゲイのひと」が出てきたら、そういう役割なんだなーと注意してみればいい話。

次。小池栄子。ぼくはずーーーーっと彼女を推しているのです。胸があり、シャベリもOK、下ネタもいけるし、お笑いもできる。芸人と絡ませても、女性ゲストと絡ませても、大御所のひとたちと絡ませても、すべてそつなくこなしていく。こんなに「使える奴」はいないじゃないか。だからぼくは小池栄子が好きだ。この「小器用さ」こそが彼女の魅力だといってもよい。

そんな彼女が役者をやってしまった。役者なんてものは、「小」器用じゃできないのに。やってもーた。彼女のおかげで、まるでDHCのCMのような印象を与えてくれてたと思う。いやいや、それは何も間違いじゃない。そういう印象を与えてくれたからこそ、この映画の評価も「んー仕方ないね」となっていたんだ、きっと。

いや、知らないけど。というか、どうでもいいや。

えーと

「恋愛寫眞リローデッド」とか。ダメか。